名 前 ◆ 大國 涼太
生年月日 ◆ 1975年11月24日
趣 味 ◆ 飲酒
特 技 ◆ 人のコンプレックスを見抜く
欠 点 ◆ それをつい口に出してしまう
座右の銘 ◆ 鳴かぬなら他のにしよう不如帰
 
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
幼少期
臍の緒が首に巻き付き仮死状態で出生。
お盆に乗せられ放置状態だったらしいい・・・
僅かに放った泣声に一人の看護士が気付き一命を取り留める。
 
5歳の時、某車会社のCMに出演。
ギャラとしてファミレスで御馳走になる。
 
祖父の家の風呂に敷いてあったシートがトラウマとなり
発泡スチロールの音が大の苦手となる
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
少年期
小、中学校はひたすらサッカーに没頭。
 
PUNK ROCKに心奪われ第21期反抗期に突入。
 
ショートカットの女性を理想にする。
 
中学3年の文化祭を抜け出し“バービーボーイズ”を最前列で堪能。
 
高校入学と同時にピタリとサッカーを辞めBAND活動に。
 
16歳、“ハイ!田中でしゅ!?”を結成。
この頃からオリジナル曲を作り始める。
 
ALBUM『CROSS ROAD』発表。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1994
“ライトニン・ホプキンス”の映像に強い衝撃を受けカントリ−ブルースにハマる。
 
下着が上下揃ってない女性が許せなくなる。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1996
3PのROCKBAND“SALE NO.8”にGu&Voで参加。
初めてVoをとる。
 
テキサス、オースチンへ旅行。『アントンズ』等のCLUBを巡る。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1997
ハーモニカとのデュオ“マサオ&リョータ”結成。現在も不定期に活動中。
 
横浜の“Mooney”さんと出逢いJug Bandの魅力にとりつかれる
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
1998
シカゴブルースフェスティバルを観光。初めて標準語を意識する。
 
“井上鉄工所 Blues事業部”に参加。
 
Jug Band “ピンクブルータス” 結成。同時期、女性の髪型への拘りが薄れていく。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2001
Mooney”山口3ヶ所ツアーに同行。
 
神戸ジャグバンドフェスティバルに参加。
 
“ピンクブルータス”レコーディング開始。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2002
横浜ジャグバンドフェスティバルに参加。〜以降毎年参加〜
ALBUM『ハロー通り』発表。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2003
“ピンクブルータス”脱退。ソロ活動をメインにする。
 
佐々木氏の休業により“井上鉄工所Blues事業部”としての活動休止。
 
残ったメンバーにより“リョータ&オレンジウィップス”を立ち上げる。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2005
飯山ジャグバンドフェスティバルに参加。
 
4月のジャグフェス参加後そのまま東京に在住。
 
藤澤 卓氏と“ JAMBALES”を結成。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2006
Banjo Stompers”に参加。
 
2月、自身プロデュースによるマキシシングル『メンチカツ』を発表。
 
10月、リーダーの町野 英明氏の誘いによって
Trad Jazz Machine のレギュラーメンバーになる。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2007
9月 Banjo Stompersでアメリカ サン・ノゼへ。
Banjo Jubilee 出演。
その後、Banjo Stompersレギュラーメンバーからサポートメンバーへ。
 
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
2008
いろいろ進行中!!!
♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪♪
inserted by FC2 system